人生逆境のとき 無一文の難病患者から復活した方法 第11話 2020年1月7日 前回までのあらすじ 自分の願望が何でも叶うと標榜する、宗教団体のような団体が主催する半年間に渡るセミナーに参加するため貯金をし、東京にアパートを借りて上京してきた私でしたが、セミナーの申し込み行く途中にかけた電話によって、参加を断られてしまいます。このセミナーによってB型慢性肝炎を治そうとしていた私は途方に暮れてしまい...
人生逆境のとき 無一文の難病患者から復活した方法 第十話 2020年1月5日 深夜高速バスで東京の品川駅に着いた私は久しぶりの東京の空気にワクワクしていました。 「B型慢性肝炎を治せる日が近づいている」 このことを思うだけでスキップしたくなるような気持ちでしたね。 品川に着いたついた私は早速、友達が借りてくれた板橋区の成増にあるアパートへ向かいました。 友達には「家賃が2万円台までしか払えない」...
人生逆境のとき 無一文の難病患者から復活した方法 第九話 2020年1月4日 再度、東京へ行くことを決心した私は、必死になってお金を貯め始めます。 東京へ出てからのアパートを借りるための「敷金」「礼金」「前家賃」そしてアルバイトを見つけて、収入が入ってくるまでの生活費を考えると「 60万円」ぐらいは貯金をしたいと考えました。 しかし、ラーメン屋で出前のアルバイトで働くのは昼の時間帯だけですから、...
人生逆境のとき ★無一文の難病患者から復活した方法 第八話 2019年12月30日 11時から午後2時までのアルバイトしかしていなかった私は、時間が余っていました。 なのでよく本屋に通っていました。 本屋といっても東京にあるような大きい本屋ではなく、私の実家にある本屋は本当に小さな本屋で、おじさん一人で経営しているような本屋でした。 あるときふと手にとった本が、私をまた東京に戻すことになります。 本の...
人生逆境のとき 無一文の難病患者から復活した方法 第七話 2019年12月29日 宅急便のアルバイトで実家に帰る費用と当面の生活費を確保した私は1月の中旬頃、実家に戻りました。 私の実家は、徳島県の池田町という町で、山の中にある本当に何もない場所です。 高校野球で有名な「池田高校」があるところです。 東京に3年ほど住んでいて実家に戻ってくると、東京との落差が大きすぎて、しばらくの間は生活に戸惑いまし...
人生逆境のとき 無一文の難病患者から復活した方法 第五話 2019年12月26日 昨日は、「生活保護の申請」するために東京の品川区役所に行ったところまでお話をしました。 当時、私は23歳くらいだったと思います。 まぁ、この年齢で生活保護の申請をする人も珍しいんでしょうね。 受付の人に「え!?」という顔をされましたから。 さて、昨日のメルマガを出した後、複数の方から「両親や親戚、兄弟に頼ることはできな...
人生逆境のとき 無一文の難病患者から復活した方法 第四話 2019年12月25日 B型肝炎で入院してから一週間後、ようやくドクターから詳しい診断内容を聞くことができました。 しかし、ドクターの口から出た言葉は、私を奈落の底に落とすようなものでした。 詳細に覚えてるわけではありませんが、大体次のような内容だったと記憶しています。 「今の医療では、B型慢性肝炎を治すことができません。これといった薬もなく...
人生逆境のとき 無一文の難病患者から復活した方法 第三話 2019年12月24日 初診でいきなり入院となった理由は肝細胞の破壊度を示すAST(GOT)、ALT(GPT)と呼ばれる酵素の値が異様に高かったためでした。 劇症肝炎になる可能性もあったとかで「このまま家に帰すわけにいかない」とドクターは判断したわけです。 ちなみに劇症肝炎になってしまうと3日から一週間で死亡してしまうケースもあります。 三重...
人生逆境のとき 無一文の難病患者から復活した方法2 2019年12月23日 昨日は、献血をしてその結果、私がB型慢性肝炎に罹っていることが判明したところまでお話をしました。 今日はその続きとなります。 B型肝炎に罹っているかもしれないので至急、東京大学医科学研究所付属病院または日本赤十字社医療センターに行くようにという通知を受けた私は、その日から病院に行くまでの間「自分はひょっとして死んでしま...
人生逆境のとき 無一文の難病患者から復活した方法1 2019年12月22日 読者さんから「加川さんがどうやって難病を克服して経済的にも復活したのか具体的に聞きたい」 という内容のメールをよくいただきます。 自分的には「へーそこに興味ありますか~」って感じです。 でも、みなさんが知りたいのなら書かなきゃですね。 今日から何日間に渡るかわかりませんが 「難病を克服して経済的にも復活した具体的な話」...