私の家の周りは山々、川、谷、など大自然に抱かれたとこで育ちました。
小さい頃、よくした遊びといえば、友達数人と小川に行って、小さな木の枝を拾って、それを小川に放り入れ、誰の小枝が一番早く河口に着くかという競争でした。
小枝は途中で岩にひっかかり止まってしまったり、土手から伸びている草に邪魔されてうまく進んでいきません。
そのたびに小石を投げ入れて自分の小枝の軌道を修正しながら、なんとか、河口まで到着させなければいけません。
そんな遊びをしていました。
それから、何年かしてテレビで川を下るラフティングというスポーツを観ました。
このとき、自分が子供の時にしていた小枝の遊びを思い出しました。
「自分がこどものときやった遊びと似てるな」って思いました。
でも一番違うのは、カヌーの場合は「パドル」と呼ばれる、カヌーを前に進ますため、水をかいたり、方向を決めるための道具が使えるということです。
私はその後、不治の病や貧乏を経験し、そこから脱却してきた経験があります。
病気や貧乏から、自分が望むような生活を手にするためにあがいているとき、ふと気がついたことがありました。
それは、自分の人生を、自分の考え通りに操って生きている人と、ただ前からやってくる流れに対応するだけで、自分の意思で人生を操っていない人。
世の中にはこの2つのパターンの人間がいて、それは、カヌーで川を下るのと、木の小枝が小川を下るのととても似てるということです。
カヌーに乗っている人は、パドルを使って、岩にぶつからないようにしながら川下に向かっていきます。
途中でパドルの操作ミスから岩にぶつかってひっくりかえるかもしれない。
でもパドルがあるから起き上がってまた漕ぎ出せる。
でも小枝は、岩にぶつかってしまって止まったらもうおしまい。
台風でも来て、小川の流れが急にならないともう動けない、または、人間が石ころを投げ入れてくれないと動けない。
これって、なんだか人生に似てませんか?
自分の人生を、自分が思ったように生きてる人はパドルを持ってる。
自分の人生を、自分が思ったように生きてない人はパドルを持ってない。
人に頼ったり、なにか偶然の出来事に頼ったりしてる人はパドルをもってない小枝のようなものです。
パドルは「信念」
自分の人生は自分が決めるという信念です。
この信念が無い人は、取引先、上司、部下、友人、知人、親、隣人、学校、職場、こういった回りの環境に左右されながらフラフラする人生を歩むんですね。
そして、岩という障害物に当たったらもう人に助けてもらうか、偶然的にそこから引き出してくれる何かが起きないとどうしようもなくなる。
自分の人生は自分が作る。
自分が欲しい物は自分の力で手に入れる。
自分の人生のデザインは自分がする。
是非、こういった信念を持って人生を歩んでください。