今日は昨日の続きです。
「祈りとはエネルギーを出す行為」ということについて書きますね。
私たちは右足を動かそうと思えば、右足が動きます。
これは脳から足の筋肉に電気信号が伝わることで、筋肉の収縮がおき、足が動くという仕組みです。
現在では、脳から足に伝わる電気信号をキャッチし自動で動くリハビリの補助器具などが実用化されつつあります。
私はこの「足を動かそう」という思いと「祈り」は同じだと考えています。
「祈り」と言えば、何か特殊な感じをうけますが、脳が発生させる電気信号という点においては「足を動かそう」とい思いが出す電気信号と同じなのです。
違いは、その思いのエネルギーの矛先です。
「足よ動け」という電気信号は神経を伝わり足の筋肉に対し作用するのに対し「祈り」の電気信号は空間に対し放射されるのです。
厳密に言えば空間ではありません。
人間が空間と認識している存在と、私たち人間は、ミクロの世界まで突き詰めていくと、同じものでできているので、つながっているわけです。
いえ、つながっているという表現も的確ではないかもしれません融合していると言った方が適当かもしれません。
全てのものはつながっているので、自分を形成しているエネルギーの塊から放射された祈りの電気信号は、自分以外のエネルギーの塊へと伝わっていきます。
そして、その信号を受けたエネルギーの存在が祈りを現実のものとするのです。
いいですか?
今回のお話はちょっと抽象的な感じで難しかったでしょうか?
では、明日は
「この世の中はすべてエネルギーの集合物からできている」
ということについてお話をしますね。
ここまで読んでくると「祈り」が叶うその理由が分かってくると思いますよ。
では。