B型慢性肝炎はなんとか治すことができました。
実に5年に渡る長い闘病生活でした。
しかしこの間満足に働くことができず、入退院を繰り返していた私には800万円近くの借金が残ってしまいました。
しかも退院時には、所持金は全くの「ゼロ」しかたなく私は友達に3万円を借りたのです。
既にこの友人からは10万以上の借金がありました。
しかし友人は嫌な顔をするでもなく貸してくれました。
今でもこの友達にはすごく感謝しています。
入院中は自分の病気のことよりも、こちらの借金の方がはっきりいって心配でした。
いつ死ぬのだろうと思いながら入院していましたので、死んだ後に残る借金のことを考えると、その矛先が向くかもしれない両親のことを考えるとなんとも言えない重い気分になってしまっていました。
実家にいる両親はと言えば、父親が前立腺癌が骨盤や膝に転移し、寝たきりに近い状態、母親は脳梗塞の後遺症のせいで、右半身に弱いながら障害がある状態。
とても借金のことを打ち明けるような状況にはなかったのです。
また打ち明けてもどうなるものでもない状態ですから。
以前の私なら暗く落ち込んで、どうしようもない状態だったと思います。
しかし今回は違いました。病気それも難病を克服したという自信から、「絶対になんとかしてやる!」こんな気持ちが強くみなぎっていました。
月々の返済は約20万円近くありました。「さて、どうやってかえそうか?」「う~ん」と悩んでみても良いアイディアは浮かんでくるはずもありません。働くしか手はないのです。
しかし、28歳の学歴もなんの取り柄もない、私を高給で雇ってくれるところはありません。サラリーマンでは手取り25万円そこそこがいいとこで、これではいつになったら返せるのか・・。そんなこんなで「朝から夜中まで働くしかないよな」こんな単純な考え?を出した私は早速フロムA(アルバイト情報雑誌)を買いに本屋に買いに行きました。
そこで、配膳かい(ホテルの宴会場や結婚式場で食事の用意とかをする仕事)の仕事と配送会社の倉庫の仕事を見つけました。
この二つの仕事を掛け持ちですることで、月30万位になりました。
この中から20万円を返済に回し、10万円で生活をやっていくということを約1年くらい続けました。
1年もやっているとさすがに弱気になってきて、「こんな生活いつまでやればいいんだ」このような想いが毎日浮かんでは消えていきます。
確かに借金は、600万円くらいまで減って来ましたが、精神的にはかなり参っていました。プライベートが全くない、遊びも全く出来ない、もうくじけそうでした。このときには、病気を克服した直後の、「やってやる!!」という気持ちは消えていて、惰性で借金返済をしているだけの状態です。
しかし。ここでくじけてはいけないと気を取り直して、自分の気持ちに鞭を打って頑張り何とか完済しました。
このような病気、借金との闘いを通して私は精神的にかなり強くなったと思います。
今の自分があるのは、このような苦境があったからこそだと思います。
苦境を経験したからこそ、そこから得られた経験とノウハウで、その後の人生で出会う様々なピンチを乗り越えてこられたと思っています。
順調な人生なら私はきっと今は、普通のサラリーマンで、日々、様々な悩みや葛藤と格闘しながら人生を送っていると思います。今では私を苦しめた難病に感謝しています。入院中に出会った人や書籍がきっかけで、大きく人生が好転したのですから。
「宿命は変えれないが、運命は変えれる」この言葉は本当だと思います。自分の人生のデザイナーは自分自身であって、他の誰でもないのですから。
続く