つい先日のこと、田舎の友達から電話がかかってきました。
内容は詳しく書けませんが、要約すると、重い病気を宣告された上に、事業が失敗し、多額の借金を背負うことになってしまった。
そのうえ、離婚の話まで切りだされてしまったという、泣き面に蜂と言うか、踏んだり蹴ったりの話でした。
「ドラマみたいだ」彼の話を聞いたとき、不謹慎かもしれませんが、そう思ってしまいました。
そんな彼になんという言葉をかけたらいいのか迷っていると、電話口で彼は本当に落胆した声で、「もうどうしようもないよ」と頻繁に私に言うのです。
このもうどうしようもないよう。という言葉をを聞いたときに、昔の自分を思い出してしまいました。
「自分にも似たような時期があったな・・・」
昔のことを思いだした私は、急に気を取り直して、次のようにアドバイスをしました。
「どうしようもないと思ったらどうしようもなくなる」
「けれど、どうにかしようと思えば、どうにかなるから、決してあきらめてはいけない」って。
私も昔、B型慢性肝炎にかかり、全く働く事ができず、その上、借金が1000万円近くあり、区民税を払っていなかったため。生活保護まで断られ、明日食べる物もないという状態になったときがあります。
この時は、本当にもうどうしようもないという気持ちでいっぱいでした。
借金を返すために、働こうと思う気持ちはあるのですが、病気のため働くことができない。
じゃあその病気を治療しようと思い、入院しようと思っても、入院費用を払えるお金がない。
入院しなかったら、生命に危険がある。
そんなときに、田舎の母親が脳こうそくで倒れ、父親は前立腺がんにかかってしまいました。
こんなような、もう本当にどうしようもない状態の時がありました。
いくら頭をしぼって、打開策を考えようとしても、本当に本当にどうしょうもないような気持ちしか沸いてこないのです。
八方ふさがり、お先真っ暗という言葉を身をもって実感しました。
しかし私は今、普通の家に住んで、普通にご飯を食べて、それなりに仕事もしています。
ということは、あんなどうしようもない状況にいながらも、何とかそういう状況を切り抜けてきたということです。
そして今は冷静になって、どうやってあの大変な状況をくぐり抜けてきたのだろうと考えてみると、「どうにかしよう」この気持ちを決して忘れずに、状況の打開に対してだけ知恵を絞っていたからだと思います。
どうしようもないと思えるような状況下においても、目を見開いて、脱出口を探していると、ほんの小さなクモの糸のような光が差し込んでくる部分が必ずあるはずなのです。
その光を見つけるまで決してあきらめないことです。
私の場合、その光は、潜在意識との出会いでした。
潜在意識の法則をしたことが、逆転人生を歩むきっかけを作ってくれたのです。
大変なことというのは、その人の器にあった大きさで訪れるといいます。
ですから、自分に起こる問題は必ず自分の力で解決出来るはずなのです。
逆に考えてみれば、とても大変な、大きい問題が降りかかってきたということは、それだけ自分の器が大きいということが言えるかもしれません。
もしあなたが今、大変な問題を抱えているとしたら、それは必ず解決出来るはずです。
ただし、「何とかしよう」という気持ちを忘れなければの話ですが。