初診でいきなり入院となった理由は肝細胞の破壊度を示すAST(GOT)、ALT(GPT)と呼ばれる酵素の値が異様に高かったためでした。
劇症肝炎になる可能性もあったとかで「このまま家に帰すわけにいかない」とドクターは判断したわけです。
ちなみに劇症肝炎になってしまうと3日から一週間で死亡してしまうケースもあります。
三重大学の医師と看護師はB型肝炎に感染し死亡したのはこのケースだったと記憶しています。
さて、そんなこんなで、病院を受診したその日に入院と言われ、私は途方に暮れていました。
着替えも何も持って来てませんでしたから友達に公衆電話から連絡をして、病院に来てもらい、そして、アパートの鍵を渡して下着の替えなどを持ってきてもらいました。
病院に来るとき、まさか入院するとは思っていませんでしたから、部屋の中は片付けていません。
いくら友達とはいえ、無防備な散らかった部屋の中を見せるのは恥ずかしかったですし、まして、パンツやシャツなどの下着の替えをタンスの中から取り出して持ってきてもらうというのはとても恥ずかしかったことを覚えています。
入院した後は、いろいろな検査が行われました。
人生初の入院でしたから、色々な物が物珍しくまた恐怖の対象でもありました。
今となっては、何てことない検査であっても当時、若かった私はかなりビビりまくっていた記憶があります。
今の時代であれば、インターネットを使い検査の意味、血液検査の結果、病気自体について予め詳しく調べたりして、心の準備をすることもできますが、当時はインターネットがなかったのでドクターからの情報だけが唯一の頼りでした。
しかし、ドクターは色々なことがはっきりとするまでは、ほとんど何も教えてくれず、不安だけが大きく膨らんでいきました。
入院後、1週間ぐらい経ってからでしょうか、ようやく一通りの検査が終わり、検査結果についてお話をしますとドクターの部屋に呼び出しをうけました。
そこでまた、ドクターから奈落の底に落とされる衝撃の言葉を聞くことになります。
続く