自分を縛っているのは自分自身と気がつきましょう
「そんなことをしたら世間の人に笑われる」
「世間様に顔向けできない」
「そんな格好をしたら世間体が悪いでしょ」
このような言葉ってよく聞きますよね?
あなたも子供時に親から「ご近所さんに恥ずかしいからそんなことはやめなさい」とか言われたことはないですか?
私は出身がめちゃくちゃ田舎ですから、このような言葉をよく耳にしました。
さてさて、ココで質問ですよ。
世間体を気にするって言うけど、世間の人って誰?って思いませんか?
まぁ、世間の人というのは普通、隣の人とか、町内会の人たちのことなんでしょうね。
では、その人たちに何を気にしているのでしょうか?
そうですね、他人から見たら自分達がどう映っているのかですね。
「着ている洋服」「乗っている車」「通っている学校の名前」「勤めている会社の名前」「通っている塾の名前」「すんでいる家」
昔であれば、「クーラーを買った」とか「テレビを買った」とかいうのもありました。
まぁ、おもいっきり端的に言っちゃえば、いい服着て、いい車に乗って、いい学校またはいい会社に通って、いい家に住んでいれば安心かなってことでしょうか?
お~なんだかこりゃぁ、ネットワークビジネスを始める人の動機みたいです。(^.^)
でも、これってどうなんでしょうか?
世間様(近所や町内会の方々)も「いい服着て」、「いい車に乗って」、「いい学校またはいい会社に通って」、「いい家に住んで」っていうことに価値観を持ってないと、自分たちのこと評価してくれませんよね。
犬が大嫌いな人に向かって「どうですか~。うちのポチちゃんか~わいいでしょう~~」って言ってるのと同じようです。
相手にしてみたら「うげぇ!大嫌いな犬だよ!」って思ってます。
なので、
いい服着て、いい車に乗って、いい学校またはいい会社に通って、いい家に住んでってことにまったく興味がない人とかには「すげぇ~」とは思われません。
「へぇ~」って思われておしまい!
まぁ、世間体って実体のないものですよね。
そんなものを気にして生きて行く人がいかに多いか。
また世間体を上げるために一生懸命に自分の時間を浪費している人がいかに多いか。
そうやって、世間体を気にして自分自身をがんじがらめにして苦しませている張本人は自分自身なんですよね。
世間体を気にする人と価値基準を合わすと幸せは遠ざかる
いい服着て、いい車に乗って、いい学校またはいい会社に通って、いい家に住んでってことを気にする人というのは、幸福の価値基準を外界の即物的なものに置いていますから、常に心は不安定に揺れ動きます。
貧乏なときは「お金が欲しい」って思い、色々と金儲けに手を染めますし、金持ちになたらこんどはその金を失いたくないと気をもみます。
人と親しくなっても、「この人は自分のお金目当てで近寄ってきたのではないか?」とか、「こいつは自分のことを利用しようとしているのではないか?」といった疑念に苛まされます。
世間の価値観は変動します。
その時代時代によって価値感は変わっていくものです。
本当の幸福は自分の内面にあります。
自分の内面に精神を向けていき、内面の豊かさを追求していくことで外界の変化に一喜一憂するような精神から脱却できます。
世間体を気にした生き方は、金持ち父さん貧乏父さんを書いたロバート・キヨサキの言葉を借りればラットレースに参加しているようなものです。
終わりがありません。最終的には疲弊してしまいます。
世間体を気にした生活を送る限りはいつもどこか満たされない気持ちがつきまとう暮らしになってしまいます。
いい服着て、いい車に乗って、いい学校またはいい会社に通って、いい家に住んでということを得た後に多くの人は虚無感や脱力感を得ます。
そして、本当の幸福はここにあるわけではないということに気がつくそうです。
ブランド、金、名誉、地位、こういったものに価値観を置くレースに勝ったとしてもあなたに向けられるものは、嫉妬心の混じった賞賛です。
ここのとこをよく考えてください。