運が良いとか悪いというのは、本当は存在しない

あなたは、「運がいい人」と聞くとどのようなことをイメージしますか?

「アイスクリーム食べ終わったらバーに“当たり”と書いてあった」

「朝、車で出勤中に、信号機の青が続いた」

「行列必至のレストランに行ったら、並ばないで入店できた」

「超人気アイドルグループのコンサートチケットが入手できた」

「試験で山をはった箇所が出題された」

「気になっている異性に思い切って告白したらちょうどその人も前の恋人と別れたばかりだった」

このような軽微というか可愛いものから

「7億円の宝くじに当たった」

「空港に行く道が混んでいて、搭乗するはずだった便に乗ることができなかった。次の便が取れたのでそれに乗ったら、本来、搭乗するはずだった飛行機が墜落してしまった」

といった「そりゃすごいっすね~!!」としか言いようがないものまで幅はありますが、だいたいこのような感じでしょう?

でも、これって本当に運がいいといえるのでしょうか?

確かに、先に記載したような現象を「運がいい」と呼ぶのならそうかもしれません。

だけど、「運がいい」の本当の意味は「自分の意志ではどうしようもない巡り合わせが自分にとって好都合だった」ということでしょう?

でもね、自分にとって好都合と感じる出来事も長い期間で見るとそうでもないことがあるんです。

例えば、「7億円の宝くじに当選する」ということは普通に考えれば「めっちゃ運がいいじゃないですか~」ってなります。

しかし、ご存知かもしれませんが、宝くじに当選した人はその後の人生が不遇になる確率が高いのです。

また、「超人気アイドルグループのコンサートチケットが入手できた」と、ここだけピックピックアップすれば運がいいように感じますが、コンサートに行く道の途中で事故に遭ってしまったら、チケットが入手できたことは、「運が悪かった」と言ったほうが正解かもしれません。

私は、23歳のときに「不治の病のB型慢性肝炎」と診断されました。

母親がB型慢性肝炎のキャリアで、その母から出てくるときに感染(産道感染)と言われました。

当時のB型慢性肝炎は治療法がなく、人に感染する病気だったため、当時は、本当に奈落の底に突き落とされたような感覚を味わいました。

「働けない」「彼女作れない」「結婚できない」

こういった状況だったのですから。

しかし、私はこの病気のおかげで「潜在意識」に出会い、その偉大な力の活かし方を知ってからは経済、健康、仕事、友人、全てにおいて自分が望むように展開していくようになりました。

B型慢性肝炎にかかったことは自分にとって運が良かったように思うのです。

しかし、実際のところ、日々出会う出来事が「運がいいのか」「運が悪いのか」は、自分が死ぬときになってみなければ分かりません。

死ぬときが人生のゴールだとするならその時が来ないと、自分で「運がいいと感じている出来事」

「運が悪いと感じている出来事」それが本当はどっちだったのかは分からないのです。

なので

「潜在意識のことを勉強して、自分の願望を比較的容易に叶えることができるようになった。だから、自分は潜在意識の存在を知ることができて、本当に運が良かった」

と、言えるかどうかは、私が死ぬときまで分からないのです。

まさに「人間万事塞翁が馬」です。

「人間万事塞翁が馬」とは

人生の幸・不幸は予測しがたく、幸運も喜ぶに足らず、不幸もまた悲しむにあたらないとのたとえ。
昔、中国の北辺の塞上(国境の砦(とりで))に住む一老翁の飼っていた馬が、ある日のこと(こ)の国に逃げたが、数か月後、胡の名馬を連れて帰ってきた。ついで翁の息子がその馬から
落ちて足を折ったが、そのために息子は、のちに起こった胡人との戦いにも壮丁としての徴発を免れたと伝える『淮南子(えなんじ)』「人間(じんかん)訓」の故事による。

日本大百科全書より引用

読んでいただいてありがとうございました(^^)