無一文の難病患者から復活した方法 第12話

東京は六本木での酒屋でのアルバイトを見つけて私は毎日コツコツとアルバイトをしながら貯金に励みましたしかし、時給は750円です。

今の東京都の最低賃金は1013円ですから今よりも263円安かったわけですね。

時給750円で1日8時間働いても6000円にしかなりません。

税金を引かれた後の手取りは11万円少しだったと思います。

そこから家賃や光熱費、通院費を引くと自分の手元に残るのは3万円から4万円程度でした。

そこから食費を引くので貯金をすると言ってもわずかな額しか貯金できません。

しかし、またいつ入院という羽目になるかもしれませんから、私は必死で食費を抑えて貯金をするようにしました。

外食は当然できません。

食費にかける費用の目標は、月に5000円以内です。今ではありえませんね。

飲みに行くと1日で1万円ぐらいは簡単に使ってしまいますから。

今はラーメン屋チャーハンそして焼肉など結構ハイカロリーなものばかり食べている私ですが、当時の食事はご飯と納豆。

しかも、1日1食ですよ!

これの繰り返しです。

二日に一回ぐらいは生卵を加えるような感じ。

今考えるとめちゃくちゃ偏った食事をしていましたね。

それでも若かったからでしょうか、なんとか持ちこたえることができました。

しかしやはり苦しかったですね。

ラーメン屋や定食屋の前を歩いたりすると、どうしても店の前にある食品サンプルに目がいってしまいます。

その度に「食べたい!!」という気持ちが押し上げてきて、「もう貯金なんてしなくてもいいから好きなだけ食べてしまいたい!!」という衝動に何回も襲われました。

今、当時のことを振り返ると辛いことはたくさんありました。

「未来がわからないこと」「病気で死ぬことの恐怖」「借金の恐怖」など。

でも、やはり一番つらかったのは食事の面ですね。

B 型慢性肝炎には特に食事制限はありませんでしたから、お金さえ普通にあれば好きなものを好きなだけ食べて良かったわけです。

「とにかく好きなものを腹いっぱい食べたい」この欲求に耐えるのが一番つらかったように思います。

さて、東京に出てきてからは、B型肝炎にかかっているかもしれないという疑いがあった後、すぐに受信した「東京大学医科学研究所附属病院」ではなく「日本赤十字社医療センター」に病院を変えていました。

その理由というのは、特段これといったものはないのですが、やはり、よくテレビである、あの教授回診というやつです。

あれがなんとなく好きになれなくて「大学病院は嫌だな」と思っていました。

なので当初「B型肝炎にかかっているかもしれない」という知らせをもらった通知書に書いてあった「日本赤十字社医療センター」に変更したわけです。

東京に出てきてから1年ぐらいは、通院で様子を見ていましたが、ある日の検査でALT(GPT)、AST(GOT)が上昇していることが判明し入院となってしまいました。

「入院してください」と言われた時は、「あ~この日が来たか~」って感じでしたが、不思議と落ち込みはしませんでした。

しかし、この入院は今から考えると私に貴重な体験を授けてくれたように思います。

まさに人生の転機になりました。