無一文の難病患者から復活した方法 第六話

品川区役所に生活保護の申請を断られ、私は万策尽きました。

手元には「9000円」ぐらいしかなく、家賃を払うお金もありません。

2ヶ月分ぐらいの家賃を滞納していたので、これ以上大家さんに迷惑をかけるのも嫌でしたし、このまま過ごしていけば餓死するしかないという状況でしたから一度実家に帰ることを決めま
す。

ただ、実家に帰るにもその交通費がありません。

また、実家に帰ったとしても、両親に頼ることができませんから、実家で働き先が見つかるまでのお金が必要となります。

そこで、体が少々きつくても、時給の良いアルバイトを探すことにしました。

そこで見つけたのがクロネコヤマトの宅急便ドライバーのアルバイトだったんです。

アルバイトを探し始めたのが11月の初め頃で、その頃はお歳暮関連の荷物が増えるため、11月と12月の期間限定で宅配便ドライバーのアルバイトを募集していました。

しかし給料が出るのは、1か月と少し先。

そこまではお金が持たないので、友達に頼み込んで15万円を借りてなんとかしのぎました。

友達にお金を借りる時は、本当に嫌な気持ちでしたね。

いくら病気のせいとはいえ、とても惨めな気持ちになったもんです。

お金を貸してくれた友達には今でも感謝をしていますし、これからもずっ~と感謝の念はなくならないでしょう。

しかし、このアルバイトをすることは、かなりの冒険でした。

まぜなら、当時、B 型慢性肝炎というのは、「なるべく体を横にして安静にしていなくてはいけない」と医師から言われていましたので私がしようと思っている宅配便のドライバーは
それとは真逆のアルバイトでしたから。

B 型慢性肝炎の症状が悪化すれば、働くこともできなくなります。

未来が全く予想できないにも関わらず、「とりあえず動くしかない」という状況は、本当にプレッシャーが強く、毎日ギャンブルをやってるようなもんでした。

アルバイトを始めてから一週間ぐらい経った頃から「症状が悪くなったら悪くなったで、また対策を考えよう」と考えられるようになり11月、12月の2ヶ月間、宅急便のアルバイトに
没頭しました。

残業も積極的にこなし、とにかくお金を貯めようと必死に働きましたね。

しかし、内心は「病気が悪くなっていないかな?大丈夫かな?明日起きれるかな?」などと日々思いながら働いていましたから、とても生きた心地がしませんでしたね。

続く。。